「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」が杉山のなかで話題に!あらすじは?ループものの元祖ってホント?エンディングや元ネタは?
「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」が杉山のなかで話題に!あらすじは?ループものの元祖ってホント?エンディングや元ネタは?
「うる星やつら2 ビューティフルドリーマーを見た。
うる星やつらの皮をかぶった押井守の作風が全面に出ているそうで、こういうドタバタ劇が見たかったぼくとしては、うる星やつらファンではないながらも、違和感なく楽しめた。らんま1/2のアニメで感じていた高橋留美子の描くキャラクターの愛嬌を改めて実感することになった。
しかし生みの親、高橋留美子(るーみっく)はこれは押井作品です!と一蹴。どうやら原作で主人公諸星あたるが言ってはいけない(言わせていない)セリフが劇中に。原作ファンではないながら、そのセリフにあたる×ラムの関係性に終止符を打つことになってしまう印象を受けたし、まあ本当にそうなんだろう。
劇伴やセリフの引用、エッシャー的描写など押井守の美学がたっぷり盛り込まれた本作は評価点はいくらでもありそう。合わせて、製作陣、映画的主張とアニメ側の主張がセリフに込められていたりなどなどなど。あーだこーだいわず、素直に楽しめた。
ラブコメはヒロインと結ばれることが物語のハッピーエンド、エンディングのひとつとされていると考える、ギャルゲーであれば、分岐の後にエンディングが存在する。スポーツが主題であれば、強豪校やライバルとの勝利がエンディング。バトルものであれば、敵を倒すことでヒロインないし仲間や国を救うことがエンディングとされたりする。(さっと考えたイメージではあるが)物語にはエンディングというものが存在する。
ビューティフルドリーマーの考察や感想を読んでいると、アニメにおける「サザエさん方式」という言葉を見かける。磯野家はあの年齢、あの家族構成、あの街で何十年も物語が続いている。毎年正月、夏休み、クリスマスの話題がつづき、特にスマホが出てこず、たんたんと日々はつづいていく。倒すべき敵もいなければ、大恋愛もない。いまも放送されつづける製作陣がいるかぎりノットエンディング。
サザエさん一家はスマホの存在を知ってますか?というか、携帯電話とい... - Yahoo!知恵袋
(以下ネタバレ)
ビューティフルドリーマーは、主人公たちと今の関係や環境がずっと続けばいいな〜というラムの願いを餌に夢の妖怪がラムに夢を見せて、みんながとらわれるお話。何不自由ない生活が過ごせるものの、日常への脱出を試みても、なかなか夢から脱することはできない。観客はあたるの奔走に「早く夢から覚めて〜〜!!!」と手に汗握る。終盤ついに夢から覚めたラムは、
「ダーリン・・・ダーリン、うち、夢みたっちゃ。ダーリンがいて、天ちゃんがいて、お母様やお父様やメガネさんたちがいて・・・」
「ラム、それは夢だよ。それは夢だ・・・」
….そう!起きたらダーリンもいるし、おなじみのみんなもいる!というアニメそのものプロットの崩壊「いやどっちにしろフィクションだろ!」と見ている我々は気づく。うる星やつらそのものは夢であり、我々は、「うる星やつら」という夢(フィクションの物語)を見せられていたわけだ。でもまあ夢から覚めてよかった〜
一件落着!とても素敵なカップル!!!
しかし、そのまま本編をもう一度最初から見返すと、本作の冒頭シーンは絶望した諸星あたると、夢の世界というディストピアでウキウキでジェットボートをとばすラム、夢は終わっていなかった…という超絶バッドエンド?であった。
学園祭前夜を延々と繰り返し、進むことのない夢の世界にとらわれるという、ループものの元祖と言われているビューティフルドリーマーはアニメ史のみならず、作品の構造や描写が好評価されている。本作をみると、まどかマギカも涼宮ハルヒの憂鬱エンドレスエイトもなんだか拍子抜けに思えるまで…。(ファンの方すいません)
まどマギは、ほむらちゃんの使命が起点は一体どこだったんだ?とゆらいだりと、11話〜最終話おもしろいです。魔法少女たちのディストピア的心境が終始続きまくり、回収されたカタルシス(言いたいだけ)までは、しんどかった。でもやっぱおもしろい。
涼宮ハルヒのエンドレスエイトは8割くらいで見るのをやめた。ハルヒが夏休みを満足したら夏休みが終わるというループ(満足するまで夏休み前の1週間が繰り返される)するわけだが、
そもそも夏休みに限らず、ゲームでもない日常に、満足したら終わりなどということはありえるのか、とかオテンバハルヒがあんまり好きじゃなかったりなどと思ったが、野暮な話だろう...。
この記事おもしろいです ↓
話は飛んで、こういった学園作品は青春の追体験をしたいと見たくなる。ぼくの高校の学園祭の思い出といえば、進学クラスから落とされ、アウェイなクラスでどう自分を確立するかと考えクラスティシャツを作らせてもらって、あとはいろいろ装飾頑張ったら学校賞をとったというサクセスストーリー(爆爆爆)であった。あのクラスの催し自体がよかったというと別にそんなことはなかった。渦中にいる事実の方が楽しかったことと、他と比べようがないが、もっと「文化」祭というのはあるよな〜といろんな人の高校時代の話聞くと思う。ラノベなどの文化祭は本当に虚構。嘘。フィクション。
とはいえ、学園祭のGod Knowsみたいなこと、したかったね。
ビューティフルドリーマーにおける学園祭のドタバタ感、あれは「コクリコ坂」のカルチェラタンみたいでめちゃくちゃ良い。モブキャラクターに役職使命があって、温度差はあれど、各々が楽しもうと生き生きしている描写にワクワクする。学園祭にかける思い、個々人みんなが主役なんですね。
そういえば僕の人生といえば、主役は僕であって、好きなことを好きと言い続けて行動し、生き延びれればと思っている。
あ?すぎやま自分語りで主人公ぶりやがって、とお思いの方もいるでしょう。ぼく自身もそういう偉そうな投稿に飽き飽きしている。インフルエンサー(爆)から古参おまいつ重鎮オタク(爆)から 子育てログおかあさん(爆)から クライアントから食いつぶされるイラストレーター(爆)の主張などにコメントする名もなき戦士たちの罵詈雑言だろうが擁護だろうが見てられない。
いろいろ大変だったけど、今日も美味い飯が食べれた!推しがかわいい!でいい。
考える力を失ったような気もする。
いやいいのかそれで?もう大喜利のあれやこれやに抵抗するかのようにおもしろいことが言えなくなってきた。
個別に連絡しないとどうなってるかわからない人は増えた。
もう投稿しないくらい大事にしたい物事や物語はとても美しい。残すも美しい。ダサいのはダサい!もしかして日本ってディストピア、、というかもうそうなってるか。
う〜む思い返せば高校生活、あの頃のぼくは美術大学に入りたい!と毎日走り続け、輝いていたなあ〜。
う〜む大学生活、念願の上京、勝手にいろんなことに失望したけど、たくさんの出会いに救われ、楽しい日々だったな〜。
う〜む大学院生活、今の指針になる出会いや経験にめぐりまくり、勝手に失望したり腐らないための期間になったな〜。
はて、あの頃がよかったか?戻りたかった?別にそんなことはない。思い出話をしすぎると、人生先へはすすめない。
ビューティフルドリーマーのシーンから
しのぶ「それはね、つまりある人がある人を気にして残ってるんで、わたしとしては、そのある人が気になるから残ってるわけよ。ただ、そのある人が気にしているある人は、その事に全然気づいてないわけ、これってわかる?」
ラム「全然わからんちゃ!」
しのぶ「でしょうね。」
ーーー
夢邪鬼「人間がいい加減なもんさかい、時間だっていい加減にきまっとる、たしかなのは今を流れる現在だけ。」
いかがでしたか? ビューティフルドリーマー見てみてください。
二ヶ月くらいあっためて適当に更新した。